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これは一言でいえば人には生まれる前の過去から現在に生きてきた総合結果にほかならない。どうしたらかわれるのかが問題である。


仏さまは人々に徳を積み本来持つ宿業を消す教えを残されました。結論から言えば『日蓮正宗の御本尊様に題目(南無妙法蓮華経)と唱えること。これを自行、日蓮正宗の教えを人々に話すこと化他の実践により本来持つ宿業が消え、貧病争から抜けられるのです。』


詳しくは動画で見てください。この続きはまた書きたいです。







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by japan2017mjp | 2018-06-21 13:06 | 人生 | Comments(0)

新興宗教の衰退と発展

昨日仕入れた情報によると真如苑は少しずつ信者数を伸ばしているらしい。その裏では何が行われてるかだ?

ほかの宗教をしていても同時に入信することができるらしい。そう考えると誰でもはいれることになる。

悩みなどは1000円支払えば指導教師が聞いてくれるそうだ。ある意味では現代社会において疎外感や孤独感のあるようなことはうまく教団が隙間に入り信者を獲得したみたいだ。

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by japan2017mjp | 2017-10-31 05:14 | 日本の宗教 | Comments(0)

創価学会の活動かの方に!本当に幸せですか?1ヵ月に半分も活動に参加されることがありますが時間を搾取されてませんか。新聞啓蒙なる新聞の販売行為を強要されてませんか?多部数購読などお金がかかりますね。宗教活動ではありませんよ、それ以外にも選挙活動も宗教活動ではありませんよ。財務などに金など使うのはお金がもったいなくありませんか?


この続きはまたあとでゆっくり書きます。




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by japan2017mjp | 2017-10-08 02:14 | 創価学会 | Comments(0)

日本人の宗教観

信心もイワシの頭からなどとのことを言うような宗教観がある。結論はされだけではない。やはり歴史的なものから積み上げられた結果、宗教観ができていると考えてよい。日本に仏教が入ったとき神道派と仏教派が争い戦争になった。本来両者は異質なものであり、仏教は外来の宗教なのである。そのために戦争が起きても不思議ではない。

仏教が日本に入ってきたころの日本人はまだ現在のような「信心もイワシの頭からなどとのことを言うような宗教観」はなかったのだろう。戦争になったことの反省により仏教と神道の融合が起きたと考えてよいだろう。明治初期までは今以上に神道と仏教が融合していたと考えてもよい。教義面においても神道の中に仏教の仏や菩薩などが入り込んできたりもしたまた仏教の中にも神道の神が崇拝の対象になったりもした。

こうした現象は中国や日本やインドなどでも起きているが一神教の国々では完全に否定される傾向は強い。宗教は何でもいいという考え方が最近の新興宗教にも表れている。教祖が宗教の開祖たちや神から啓示を受けたとか?

そうした宗教の特徴は万教一致などとも言っている。最近は幸福の科学などはその典型だろうが竹や木や鉄の棒などを一括りにして新興宗教の教義を作ったらしいがかなり無理があるものだ。こうした新興宗教がはやるのは日本的宗教観を世界的に拡大して何でもありとしたところに多くの人を引き付けたのかもしれない。しかしながらそれが科学的な根拠から考えて正しいと言えるものはない。聖書に釈尊が正しいなどない。仏典にキリストが正しいともない。なんでも正しければ幸福の科学を信じなくても他の宗教でもよいということになる。

神の啓示というのも証拠もないもので信じることはできないということも考えなければならない。







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by japan2017mjp | 2017-10-07 00:02 | 日本の宗教 | Comments(0)