日本人の宗教観

信心もイワシの頭からなどとのことを言うような宗教観がある。結論はされだけではない。やはり歴史的なものから積み上げられた結果、宗教観ができていると考えてよい。日本に仏教が入ったとき神道派と仏教派が争い戦争になった。本来両者は異質なものであり、仏教は外来の宗教なのである。そのために戦争が起きても不思議ではない。

仏教が日本に入ってきたころの日本人はまだ現在のような「信心もイワシの頭からなどとのことを言うような宗教観」はなかったのだろう。戦争になったことの反省により仏教と神道の融合が起きたと考えてよいだろう。明治初期までは今以上に神道と仏教が融合していたと考えてもよい。教義面においても神道の中に仏教の仏や菩薩などが入り込んできたりもしたまた仏教の中にも神道の神が崇拝の対象になったりもした。

こうした現象は中国や日本やインドなどでも起きているが一神教の国々では完全に否定される傾向は強い。宗教は何でもいいという考え方が最近の新興宗教にも表れている。教祖が宗教の開祖たちや神から啓示を受けたとか?

そうした宗教の特徴は万教一致などとも言っている。最近は幸福の科学などはその典型だろうが竹や木や鉄の棒などを一括りにして新興宗教の教義を作ったらしいがかなり無理があるものだ。こうした新興宗教がはやるのは日本的宗教観を世界的に拡大して何でもありとしたところに多くの人を引き付けたのかもしれない。しかしながらそれが科学的な根拠から考えて正しいと言えるものはない。聖書に釈尊が正しいなどない。仏典にキリストが正しいともない。なんでも正しければ幸福の科学を信じなくても他の宗教でもよいということになる。

神の啓示というのも証拠もないもので信じることはできないということも考えなければならない。







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by japan2017mjp | 2017-10-07 00:02 | 日本の宗教 | Comments(0)